第3層−1 農法の違いの、その奥にあるもの

→ 前回の記事は「植物の世界にある関係性」

作物は自生の植物とは違い、完全放任で収穫することは難しい。

手出しのやり方は様々で、多くの農法が存在している。

小さな畑で作物を育てる時も、はじめに、大体の方向性を決めておくと、作業の指針になるだろう。

実践しながら、試行錯誤を繰り返すことで、自分に合ったやり方が見えてくる。

日本で今使われている、主な農法

慣行農法
一般的に、多くの地域で多くの人が行っているやり方を指し、時代により変化する。

今現在の主流は、土を耕し化学肥料と農薬を用いた農法を指す。

メリットは、品質や収穫量の安定と農家の作業量軽減で、デメリットとしては、自然界の生態系を無視したやり方とも言える。

有機農法
・科学的に合成された肥料・農薬を使用しないこと。

・遺伝子組み換え技術を利用しないこと。

・農業生産による環境への負荷を出来る限り低減すること。を主軸にしている。

農薬・肥料を一切使用しないということではない。制度化された自然思考とも言える。

自然農法  福岡正信
・不耕起・無肥料・無農薬・無除草が原則。粘土団子のバラ撒きに象徴される。

人の手をほとんど加えない、自然に委ねたやり方。思想的でもある

自然農 川口由
福岡氏の流れをくみながら、適宜補助していく方法。

”耕さず、肥料・農薬を使わず、草や虫を敵としない”

自然に任せて手出しをしないことが原則ながら、原則に囚われず、状況により補いも許容している。

川口氏主催の「赤目自然農塾」で学んだ人も多く、広がりがある。
思想的でありながら、実践に寄り添っている。

自然栽培
無農薬・無肥料(もしくは化学肥料不使用)にこだわる栽培法を表現する言葉にもなっているが、規制の定義がないので、最近は「自然栽培」を表記する人が多い。

バイオダイナミック農
シュタイナーが提唱した、農薬や化学肥料を一切使わず、宇宙や天体のリズムに基づいて作物を育てる有機・自然農法。

宇宙観に基づいている。

MOA自然農法
岡田茂吉が提唱した農法。

・基本的に耕す事はせず、
・野菜残渣から作る植物堆肥を使用。

自然の摂理と能力に委ねた農業のやり方。

どれが正しい?迷うけれど

農法に正しい正しくないはない。それぞれに、メリット・デメリットがある。

個人の思考や目的にあったものを選び、実践していく中で、自分なりに改善したり、いくつかの農法を組み合わせていくことになるかもしれない。

農法は、ひとつの指針として捉えたい。

営農であれば、粒揃いで見栄えのいい、多くの人に美味しいと評価される作物が求められるだろうし、省力化も必要だろう。

自分で育てた安心安全な野菜が食べたいのであれば、化学薬品は使わないで育てたいと思うだろう。

目的や環境、使える時間も体力もそれぞれ。

今や情報は数限りなく押し寄せてくる。

自分の思考や目的にあった情報に絞って、能動的に取りにいかないと混乱するばかりだ。

最後は、静かに、自分に戻る。

私の思い描く風景

さくら

私にとって、農に興味を持つことは、この世界の成り立ちへの興味に他ならない。

そして、記憶に強く残っているのは、20年ほど前に訪れた、小高い山の風景だ。

福岡正信さんの庵があった。

春真っ盛りの晴れた日、様々な木々の若葉が煌めき、小鳥や蝶が飛び交う。

満開の桜の木の下に、ぼんやり佇んでいると、気持ちの良い風が抜け、絶え間ない小鳥の声。

まさに桃源郷。

こんな場所が欲しい!と強く思った。

福岡さんによれば、泥団子の種を蒔きながら、4~5年手を出さなければ、自然の循環に戻るとのことだったが、「ここ!」と言う場所と出会うのはなかなか難しい。

そんなこともあり、自然への畏敬の念と憧れは、更に深まった。

庭先の小さな畑で試行錯誤

小さな菜園

人が生活している以上、全てを自然に任せるわけにもいかないが、耕さない、肥料や薬品を使わないことで、「できるだけ自然界の邪魔をしないで、
食べ物を得る」スタンスが、自分にとって心地いい。

しかし、なかなか作物が育たないのも事実。

発芽した喜びも束の間、あっという間に消え、大きくなってきたと喜んだのも束の間、虫に食べられる。

3年経っても、まともな収穫は得られない。

庭木だけは、落ち葉を根元に残しておくだけで、随分と元気になっているが、作物は、そう簡単ではない。

緑肥を撒いて、敷き草がわりにしたり、米糠を発酵させた、米糠ボカシを作って表層に撒いたり、調べながら、試行錯誤しながら続けている。

1年ほど留守にしていたので、余分に時間がかかったが、今年は、ホトケノザやカラスノエンドウが育つ場所が増えている。

適度に肥沃な土壌になってきていると思われる。

これまでの流れを思い返すと、川口由一さんの自然農のやり方に沿っている。

強く意図したわけでもないが、自分の思考にも、現実的な判断にも合致しているのだろう。

→ 次回の記事は「畝をたてるということ」

→ まとめに戻る