第4層ー2 人間を中心に置くということ

→ 前回は「近代農業とは、何であったのか」

近代農業は、自然を分解し、制御することで成り立っている。

では、なぜ人間は自然をそのように扱うようになったのだろうか。

その背景には、「人間中心」という考え方がある。

人間中心主義とは何か

人間は自然より上位にあるという考え方は、西洋思想の中にある。

・人間は「神の子」特別な存在であるというユダヤ・キリスト教の教え

・古代ギリシャ哲学 アリストテレスの「人間は政治的動物」理性を持つ人間は優れている。

・デカルト 「我思う、故に我あり」人間のみが精神を持つ主体。

・科学技術の進歩 「進歩」や「開発」が善とされた。

このような西洋思想の中で強く形作られてきた。

・人間は自然より上位にある
・自然は利用してよい対象
・自然はコントロールできるもの

山も、川も、土も、人間のために存在するものとして捉えられるようになる。

そこでは、自然は「共に生きるもの」ではなく、「使うもの」となった。

日本本来の自然観

日本は本来、これら西洋の思想とは真逆の自然観を持っていた。

自然界のあらゆるものには神や精霊が宿り、人間は、自然からの恵みをいただいて生かされている存在であり、

自然の一部として自然とともにに生きているという根強い思想を持っていた。

それは、生活の中に深く浸透し、季節の行事を大事に営み、俳句や短歌、茶道、華道などさまざまな文化・芸術を生み出した。

しかし明治以降、西洋からの近代化の波に飲まれ、次第に自然との距離は遠のいていった。

自然と人間の分離

本来人間は、自然の一部であり、自然の内側にある存在である。

しかし近代は、人間を自然の外側に置いた。

観察し、分析し、制御するために、自然と距離を取る必要があったからである。

こうして、人間と自然とのあいだには見えない境界線が引かれていった。

科学との関係

科学は、世界を理解するために対象を分解し、単純化する。

その視点は多くの恩恵をもたらした一方で、自然を「関係性の全体」ではなく、「要素の集合」として捉えるようになった。

土は、微生物や命の場ではなく、窒素・リン・カリウムの組み合わせとして理解される。

そこではすでに、土との関係性は切り離されている。

近代とは

近代とは、人間が自然の内側から外側へと立ち位置を移した時代である。

人間と自然は本来一体であるという感覚が失われ、ある意味、対立ともいえる関係を生む。

そしてその視点こそが、
自然を制御し、利用するという発想を生み出していった。

では、この「人間中心」という発想は、
私たちの生きる感覚に
どのような影響を与えたのだろうか。

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