第5層ー3 川口由一と関係としての農

→前回の記事は「福岡正信と自然農法」

”耕さず、肥料・農薬を使わず、草や虫を敵としない”

自然と対話するように、繊細に関わる農もある。

川口由一氏の農は、その象徴ともいえる存在である。

「自然に委ねる」という根底の思想は、福岡氏の自然農法と同じ流れであるが、

その発露する佇まいは対照的でさえある。

福岡氏の場が、生命の力が渾然一体となった力強さを持つのに対し、

川口氏の場には、静かに整えられた美しさがある。

自然農法に切り替えたきっかけ

農家を継いで20年以上が経った頃、川口氏は原因不明の体調不良に悩まされていた。

その頃読んだ有吉佐和子の「複合汚染」は、農薬や化学肥料がもたらす影響を指摘したもので、川口氏は大きな衝撃を受ける。

そこから、一切の農薬類や化学肥料をやめ、苦難の道が始まる。

同時期に出会った福岡正信氏の著書から手がかりを得、試行錯誤の日々が続くが、3年間収穫できなかった。

十分な収穫を得るまでに10年かかっている。その間収入はゼロ。

川口氏には、とうとうお会いする機会を得なかったが、その言葉や映像からは、達観した静けさが感じられる。

観察から始まる農

小さな菜園

川口氏の農は、徹底した観察から始まる。

土の状態、植物の様子、季節の変化、それらを感じ取りながら、必要最小限の関わりを持つ。

手作業で、自然の摂理に沿って行う。

草を敵とせず、土を覆い、必要なときにだけ手を入れる。

自然の力に任せることで、手間を減らしつつ,安全で生命力の強い作物を収穫し続けることができる。

関係としての農、人間の役割

農とは自然に働きかけることではなく、自然と関係を結ぶことである。

作物を育てるのではなく、自然と作物の間に立つ存在として、関係を調整する役割を持つ。

関わりすぎず、離れすぎず、そのあいだに立つこと。

それが、人間の役割なのかもしれない。

そこには、支配も制御もない。

全ての生き物が、関わり合いながら均衡を保ち、循環し、持続性を保っているこの世界。

人間の役割は、本来それほど多くはないのかもしれない。

思想の核心

川口氏の農は、自然との関係性を取り戻す実践である。

それは、生産のための農ではなく、生きるための農である。

”全てが過不足なく満たされているのが命がめぐる世界。自然の摂理に沿った栽培法なら、田畑は恵みをもたらし続けてくれる。足るを知り、豊かに平和に暮らし続ける喜び、自然が僕に本当の幸せを教えてくれた”

それは、自然の中に「参加する」ような在り方でもある。

実践する農へ

自然を制御する農から、自然と共に生きる農へ。

そこには、全く異なる世界の見方がある。

農とは、作物を育てることではなく、人間が自然との関係を思い出す営みなのかもしれない。

我が家の畑も始めて3年程。なかなか思うような収穫には至らない。

気がつけば、川口氏の自然農に沿ったやり方をしている。

強く意図したわけではないが、そのような形になっていた。

福岡氏の自然農法を実践するには面積が小さすぎる気がするし、土の量が足りないこともあって、まず畝を立てた。

草も生えないような土だったので、緑肥を撒き、補いに米糠ぼかしを作った。

とても自然な流れで気負いなくやれる農法だと言える。

今年は、草の種類も増えてきている。

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