なぜ農に惹かれたのだろう

→ 前回の記事は「土との関わりの始まり」

これは幼い時の暮らしの記憶にほかならない。

昭和30年代の田舎の暮らしは、丸ごと自然と共にあった。

土に触れる事は日常的なことで、こねたり、まるめたり・・・泥にまみれるような遊びは子供の本能的な喜びかもしれない。

そして、この時代農家というのは稲作農家のことで、ほとんどのの家庭は自家菜園を持っていた。

我が家も祖母が小さな畑を維持し、小さな手伝いは遊び感覚の楽しいことでもあった。

やがて暮らしの場が変わり、都会の合理的な日常に身を置くようになっても、その頃の感覚は残る。

その感覚の延長にあるような暮らしを、思い描くことが多くなった。

農という行為は、何かを”つくる”ことのようでいて、思い通りにならないことがの方が多い。

天候や季節、土の状態、そこにいる生き物たち。それらの中に自分を置いてみると、少しづつ感覚が変ってくる。

人間が中心にいるのではなく、ただその一部として関わっているような感覚。その感覚が心地よかった。

理由と言うよりも、方向のようなものかもしれない。

その感覚を手がかりにしながら、土と農について考え、続けている

→ 次回は「小さな畑もまた、ひとつの宇宙」

→ 「土と農」はじめに読みたい記事一覧