
どうしてなのかを考えると、幼い頃の記憶に触れる。
自然と共にある暮らしの中では、土に触れる事は特別なことではなかった。
こねたり、まるめたり・・・
気がつけば手の中にあった。遊びの延長のような当たり前の時間だった。
やがて暮らしの場が変わり、都会の合理的な日常に身を置くようになっても、
その頃の感覚は残る。
その感覚の延長にあるような暮らしを、思い描くことが多くなった。
農という行為は、何かを”つくる”ことのようでいて、思い通りにならないことがの方が多い。
天候や季節、土の状態、そこにいる生き物たち。それらの中に自分を置いてみると、少しづつ感覚が変ってくる。
人間が中心にいるのではなく、ただその一部として関わっているような感覚。その感覚が心地よかった。
理由と言うよりも、方向のようなものかもしれない。
その感覚を手がかりにしながら、土と農について考え、続けている

