人間中心という発想は、農業のあり方だけでなく、私たちの感覚そのものを変えていった。
それは、自然との「距離」の変化である。
距離とは何か

ここでいう距離とは、単なる物理的な距離ではない。
認識の距離であり、感覚の距離である。
人間社会は、建前としては、自然は、共生・保護すべきものとしている。
しかし現実には、破壊的行為ばかりが目に入る。
自分の家周りの土でさえ、生命体として扱っている人がどれだけいるだろうか。
見えなくなったもの

私たちは、日々食べているにも関わらず、その食べ物がどこでどのように育ったのかを知らない。
想像することさえほとんどない。
生産と消費は分断され、食べ物は「商品」として目の前に現れる。
土に触れることも少なく、季節の移ろいを体で感じる機会も減っている。
天候の変化など、生活に直接関わる場面でしか感じ取れない。
花が咲く、紅葉するなど、はっきりと見えるものに限られる。
感覚の喪失

かつては、土の匂い、風の変化、植物の状態から多くのことを感じ取っていた。
しかし現代では、それらの感覚は必要とされなくなり、見えないものを見る繊細な感覚は徐々に失われてきている。
自然は、体験するものではなく、情報として知るものへと変わっていった。
核心

私たちは今、自然の中で生きているにも関わらず、自然を実感できない場所に立っている。
距離とは空間ではなく、認識の問題である。
失われたこの関係性は、もう一度取り戻すことができるだろうか。
自然と共に生きるというあり方は、過去のものなのだろうか。
近年、農業従事者の減少が進む一方で、生業としてではなく、生活の中で作物を育てる人が増えている感覚がある。
しかも、固定種や自然に近いかたちを志向する動きも見られる。
日本は本来、自然界のあらゆるものに神が宿る
という自然観があり、
自然から命を分けていただいている
という謙虚な姿勢があった。
私たちは今、
その感覚をもう一度
取り戻そうとしているのかもしれない。

