第4層−3 自然との距離は、どこにあるのか

人間中心という発想は、農業のあり方だけでなく、私たちの感覚そのものを変えていった。

それは、自然との「距離」の変化である。

距離とは何か

→ 前回は「人間を中心に置くということ」

ここでいう距離とは、単なる物理的な距離ではない。

認識の距離であり、感覚の距離である。

人間社会は、建前としては、自然は、共生・保護すべきものとしている。

しかし現実には、破壊的行為ばかりが目に入る。

自分の家周りの土でさえ、生命体として扱っている人がどれだけいるだろうか。

見えなくなったもの

私たちは、日々食べているにも関わらず、その食べ物がどこでどのように育ったのかを知らない。

想像することさえほとんどない。

生産と消費は分断され、食べ物は「商品」として目の前に現れる。

土に触れることも少なく、季節の移ろいを体で感じる機会も減っている。

天候の変化など、生活に直接関わる場面でしか感じ取れない。

花が咲く、紅葉するなど、はっきりと見えるものに限られる。

感覚の喪失

かつては、土の匂い、風の変化、植物の状態から多くのことを感じ取っていた。

しかし現代では、それらの感覚は必要とされなくなり、見えないものを見る繊細な感覚は徐々に失われてきている。

自然は、体験するものではなく、情報として知るものへと変わっていった。

核心

畑・ほうれんそうの双葉

私たちは今、自然の中で生きているにも関わらず、自然を実感できない場所に立っている。

距離とは空間ではなく、認識の問題である。

失われたこの関係性は、もう一度取り戻すことができるだろうか。

自然と共に生きるというあり方は、過去のものなのだろうか。

近年、農業従事者の減少が進む一方で、生業としてではなく、生活の中で作物を育てる人が増えている感覚がある。

しかも、固定種や自然に近いかたちを志向する動きも見られる。

日本は本来、自然界のあらゆるものに神が宿る
という自然観があり、

自然から命を分けていただいている
という謙虚な姿勢があった。

私たちは今、
その感覚をもう一度
取り戻そうとしているのかもしれない。

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