長く”布”に関わり、また、”生活クラフト”と呼ばれる分野の仕事を見てくると、自分が惹かれるモノの傾向が見えてくる。
結局、時間をまとったものに惹かれる。時間の経過とともに変化していく素材と、そこに込められた丹精込めた仕事に、いつも行き着く。
使い込んだ手跡や擦り切れ、汚れなど。
一般的な美しさとは対極にあるはずのその状態に、心惹かれる人は多い。
「糞掃衣」(ふんぞうえ)——ボロ布を洗い清め、刺し縫いで縫い綴った袈裟をさす言葉だが、この言葉を初めて聞いた時は心震えた。
袈裟でなくとも、東北の野良着で刺し縫いを重ねながら着込んだ衣にも同じ力がある。
糞掃衣は正倉院の宝物の一つとなり、東北の野良着は今や美術館の展示物でもある。
ボロでありながら、時を経て価値あるものに変わっている。
なぜ、布は時間をを纏うと美しくなるのか
ここで気づくのは、この「よう経年変化」が起きるのは、ほとんどの場合、面や朝、絹、ウールといった自然素材だということだ。
自然素材は、使い込むほどに油分や水分を含んで馴染み、洗いと日光を重ねるごとに繊維が和らぎ、色にも深みが出てくる。
摩耗や色褪せさえ、表情として積み重なっていく。
化学繊維の多くが「劣化」としてただ古びていくのに対し、天然素材は「経年劣化」として味わいを増していく。
これは布に限らず、木や土、金属などにも見られる。
素材そのものに備わった性質であり、端正込めた仕事や時間の経過、そこに刻まれた手跡が美しく映るのは、素材が自然のものであることが大きいのだと思う。
端布、古着、そして今
30年以上素晴らしい布に関わってきて、小さな端布も捨て難く保存してきた。
ただ持っているだけでは自分がいなくなった後にはゴミと化すだろう。
何か、布の力以上の表現ができないものか—— そう思いながら、眺めては仕舞うを繰り返している。
最近、昔製品化した服を引っ張り出して眺めることも多い。
もう、長い間来ていない服もあれば、20年以上着続けている服もある。
素材が二度と手に入らないものが多かったので、色あせたり擦り切れたりした服も、捨てられずにいた。
当時よりも素敵に見えることさえある。
当て布やチクチク縫いで補修したり、リメイクしてでも着たい——— そんな衝動に駆られて、どうしたものかと思いを巡らせる。
これが結構楽しい。
端布をつないで日用使いのものを作れば、使い込み、補修を重ねていくことでその布本来の魅力がさらに増すのかも知れない。
そう考えると、たいそうなものを作ろうと眺めてばかりいるよりも、今必要なものをすぐに作って使い込んでいくほうがいいのかもしれない。
ダーニングという実践
最近、ダーニングが楽しい。
穴があきそうなだけれど気持ちのいい靴下やセーターなど、ダーニングを施して使い続けたりする。
当初は「稚拙なできだな」と思ったものも、時間がたって洗い込んでいくうちに、妙に馴染んでいい感じに見えてくる。
自然素材が時間と共に育っていく、その家庭を身近に味わえる時間だ。

