シュタイナーはなぜ難解なのか

この世界はいったいどのように生まれ、どのようなシステムで動いているのだろう。

忙しさの渦中から一息ついて、自分の時間を十分に持てるようになると、この問いは益々無視できないものになる。

目に見えるものが全てではない。

科学者の主張が全て正しいとも思えない。

世界の成り立ちも歴史も、社会の「常識」とされているものが全て正しいとは思えない。

そんな時、シュタイナーはこの世界をどう捉えていたのだろうと、手元にある書籍に手掛かりを探す。

知の出どころ

シュタイナーは、これほど広範囲の分野——— 教育、医学、農業、芸術、社会論——— について繰り返し講義を行い、膨大な文献を残している。

この知見は、一体どこからきているのだろうか。

シュタイナーの知見は、西洋の哲学、自然科学、そして自身の霊的体験の3つが融合したところから生まれているとされるが、この世界には、宇宙規模の真実の泉とも言ううべき領域が存在しているのではないかと思わざるを得ない。

人智学(アントロポゾフィー)にはしばしば「オカルト」という言葉が使われるが、シュタイナー自身はこの呼び方を拒み、自らの探究を「精神科学」と呼んでいる。

彼は、人間には感覚的な知覚を超えて、この世界の背後にある精神的な実在を認識する能力があり、修練によってその能力を育てることができると説いている。

この世界には、いわば「真実の泉」とも呼ぶべきあらゆる知見の源泉となる領域がある。

シュタイナーは、その領域に自ら通じ、そこで得たものを言葉に置き換えて人々に伝えた人物だった。

彼の講義や著作の背後にあるのは、そうした精神的な認識のプロセスである。

難解さという壁

シュタイナーの文章や講義録は、言い回しが難解で、同じ内容を言葉を変えながら繰り返す独特のスタイルで、なかなか一筋縄ではいかない。

数十年前に一度目を通しただけで放置していたものを、今再び読んでいるといった具合である。

しかし、この難解さは、シュタイナーがあえて意図としたもののようである。

シュタイナーは、自分は人を扇動する者ではなく、ただ真実を述べていると繰り返し語っている。

そして、真実は受け手が自らの内面で咀嚼し、自分自身の思考によって捉え直すことなしには、本当の意味で自分のものにはならないと考えていた。

あえて平易な結論を与えず、聞き手に考えさせることを強いる語り口は、この思想と表裏一体になっている。

内面で思考し、創造すること

シュタイナーが繰り返し強調するのは、自分自身の内面で思考し、創造することの重要性である。

彼は、社会の理論や他人の思想をそのまま受け入れ、それに従って生きるものは、内的に荒廃していくと警告している。

外から与えられた考えをそのまま鵜呑みにすることは、精神にとって害になるとさえいう。

外的な刺激や情報を取り込んだら、それをそのまま自分の中に留め置くのではなく、自分自身の内面で消化し、自分の言葉として再び創造し、外へと送り出す。

この循環によって、初めて精神の均衡が保たれる。

シュタイナーがあえて難解な表現を選んでいるのは、読み手に、この咀嚼と創造のプロセスを促すためだったのだろう。

次回は、「健康と食事」を読み解いてみたい。

シュタイナーの「蜂蜜とミルク」に象徴される食べることの意味

→ シュタイナーが説く、人間の構成要素と植物と動物との関係

→ シュタイナーが説く食べ物と人間との関わり