今朝は、冷たい風が心地よい早朝散歩となった。
大気は澄みわたり、虫の音がこの空間を埋め尽くすほどの音量で響いている。
ようやく秋。
9月11日から旧暦では「葉月」に入った。旧暦8月1日である。
庭のハナミズキの葉も急に色付き始めた。
ここから虫の音もいよいよ最盛期を迎える。
旧暦と自然との一体感にはいつも心動かされる。
宇宙の巨大なエネルギーの中で生かされていることを意識し、畏敬の念を持って自然と向き合ってきた日本人の感性が、旧暦の中には溢れている。
「葉月」という一つの名前だけでは足りないのだろう。
「月見月」「秋風月」「木染月」「萩月」「燕去月」「雁来月」——— 同じ月にこれほど多くの呼び名が並ぶ。
一つの言葉では表しきれない、自然への複雑な心情がそこにはある。
葉月は、秋の彼岸の入りである「敬老の日」に始まり、「仲秋の名月」そして「秋分の日」へと続いていく。
感謝と祈りの季節。
店先には、新鮮な果物が種類豊富に並ぶ、みのりの秋でもある。
季節の変わり目には、いつも、待ち望んでいたものにようやく出会えたような高揚感がある。
何十年繰り返しても、飽きることがない。
世界情勢や社会の雑事から離れて、自然の中で動植物と共に、自然に浸りきって暮らしたいと思うのは私だけだろうか。
旧暦の仕組みをもう一度確認する
旧暦の仕組みは、何度も確認しているだろうに、なかなか記憶に定着しない。
今一度、整理してみたい。
旧暦は、太陽と月、二つの周期を組み合わせた「太陰太陽暦」である。
太陽の動きからは季節が、月の満ち欠けからは日付がわかる。
毎月の1日は必ず新月、8日前後が上弦の月、23日前後が下弦の月。
3日は三日月、15日は十五夜であり満月にあたる。
一年の始まりは、立春(新暦の2月4日頃)に最も近い新月の日に設定される。
旧暦が複雑に感じられるのは、月と太陽、二つの周期のずれから、1年が13ヶ月になる年があることにもよる。
月の満ち欠けは平均して29.53059日で、一年は約354日。
29日の「小の月」と30日の「大の月」があり、31日という月は存在しない。
一方、地球が太陽をめぐる周期はおよそ365日。
その差が積み重なり大きくなる数年に一度(19年に7回の割合で)閏月を入れ、一年を13ヶ月にすることで、2つの周期のズレをうまく調整している。
この閏月の仕組みさえ押えてしまえば、旧暦は、月の満ち欠けをベースにしたシンプルな暦だ。
地球の呼吸そのものと一体化した、わかりやすい仕組みだといえる。
二十四節気と七十二候、そして雑節
二十四節気と七十二候は、太陽の黄道上の位置から算出された季節の目安で、この二つの言葉から「気候」という語が生まれている。
二十四節気は、春分を起点に一年を24等分したもので、約15日ごとに、その期間にふさわしい名前がつけられている。
衣食住に関わる生活上の節目として活用され、「季(とき)」の意識を新たにし、暮らしを豊かにするものだった。
この二十四節気をさらに3等分し、約5日ごとの細やかな変化を示したものが七十二候である。
「草の露白し」「鶺鴒鳴く」「雷乃収声」など、動植物や気象のうつろいを、繊細な言葉で描き出している。
このほか、八十八夜や半夏生、二百十日などの雑節は、立春から数えた日数によって定められ、農耕の目安にして用いられてきた。
明治になって太陽暦(新暦)に改められたことで、千年以上かけて積み上げられてきた季語や暦との間に、ずれが生じることになった。
「五月晴れ」は本来、梅雨の合間の晴天を指す言葉であり、「水無月」 は、猛暑の続く7月頃を、「文月」は虫の音に包まれる初秋を意味していた。
もともと季節感にあふれていたこれらの言葉も、新暦に当てはめると、意味をなさ無くなってしまう。
社会生活で使う新暦とは別に、手元に旧暦を置いて活用すること。
それは、自然のサイクルを意識しながら暮らすということであり、この地で培われてきた、繊細で豊かな感性に触れることでもある。
