徒然雑感

突然「宇宙」から始まるが日常的な話。

この宇宙は本来シンプルにシステマティックに完璧に作られているとされている。だが人間社会は混沌の世界。

人間は生まれ落ちて、ただそこでじっとしているわけにはいかない。地球は行動の星とされている。より良く、楽しく、便利に、楽に、上へ上へ・・・という人間の思考は様々なものを生み出し、複雑に絡み合う混沌の世界をつくりあげた。

そんな世界で自分の軸を通し、幸せ感を持って生き切ることはなかなか難しい。

人間は魂の向上のために生まれてきているらしいが、経済がほぼすべてを牛耳っている世界では、ほとんどの人間は生活をつないでいくことに時間とエネルギーを使う。労働の対価としてお金を得て命をつなぐ大多数の人間がいる一方、お金に稼がせるごく少数の人間が富の大部分持つ。

「エンデの遺言」が提起しているように、お金に命を与えなかったことが大きな間違いであったが、修正ができないまま、人間の欲を巻き込んで地球を牛耳る力となっている。

命は老化し朽ちていくもの。地球に存在を許されるのが老化し朽ちていくものだけであったならば、環境問題も含めて今地球に起こっているあらゆる問題は起きていないのかもしれない。

お金も時間の経過とともに目減りしていくものでなくてはならなかった。本来、交換の手段としてのモノである。目減りするどころか増え続けるわけなので、多くを集め蓄えることが権力となった。

今の状況が人間の進化とするならば、富を集中させることで大きなエネルギーを作り、進化の力にしてきた一面もあるのだろうか?

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シンプルに効率よく暮らすことの先にあるもの。

我々はどういう状況であろうと生きていくしかない。年々時間の進みが早くなっていると感じるのは、年齢のせいばかりではないだろう。

その中で、食べて、寝て、仕事をし、お金を得、心身を維持するだけで時間もエネルギーも消費される。その上、ぼんやりとまどろんだり、美しいものを美しいと感じたり、創造の世界に没頭する時間を持つことは容易ではない。

しかし、そういうひとりの漂うような時間が人間には必要である。自分の心身の状態を確認し、自分を癒やし、エネルギーを満たし、魂を磨く時間である。

日々時間に追われ、事に追われるような生活をしていると、ものは溢れ、食は乱れ、ストレスにまみれる。その状態から逃れようと悪循環を繰り返すことにもなる。

ゴールを決め、しないことを決め、暮らしを効率化して余力を作る。

人生の終わりに近づこうとしている今になって、自分は本当に自分の生きたい人生を生きてきたのだろうか?自分がほんとうに求めていた人生ってどんなものなんだろう?などと考えることがある。

もっとうまく生きられなかったのだろうか?という思いもある。

都度都度に目の前のことをこなし、時々でやりたいことに挑戦してきたが、ゴールを決めていなかった気がする。ゴールを決めていないと取捨選択ができない。しないことを決められないと無駄な挑戦が増える。若い時期にこそ時間には限りがあることを深く認識しておくべきなのだろうが。

思い至ったときが自分の時期。自分なりの人生のまとめ時期。

最近、自分の人生の”まとめ”をいい形にして終わりたいと思うようになった。小学6年の時の文章に、”死ぬときにはまあまあこんなもんじゃない!くらいの人生にはしたい”と書いているので、そのくらいは死守したいところだ。

生きてきた数十年の経験の一つ一つを一本の糸に例えてみる。それらを縦糸と横糸に配して織り上げると一体どんな布が織り上がるのだろうか?長年多くの素晴らしい布に出会ってきた身としてはとても興味深い。そんな事を考えているとこれからの人生も楽しみだったりもする。

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