どうしてなのかを考えると、
幼い頃の記憶に触れる。
自然と共にある暮らしの中では、
土に触れることは特別のことではなかった。
こねたり、まるめたり、
気がつけば、手の中にあった。
遊びの延長のような、
当たり前の時間だった。
やがて、暮らす場所が変わり、
都会の合理的な日常の中に身を置くようになっても、
その頃の感覚は残っている
気がつくと、
その感覚の延長にあるような暮らしを、
思い描くことがあった。
農という行為は、
何かを”つくる”ことのようでいて、
思い通りにならないことの方が多い。
天気や季節、土の状態、
そこにいる生き物たち。
それらの中に、自分を置いてみると、
少しづつ、感覚が変わっていく。
人間が中心にいるのではなく、
ただ、その一部として関わっているような感覚。
その感覚が、心地良かった。
理由というよりも、
方向のようなものかもしれない。
その感覚を手がかりにしながら、
土と農について考え、続けている。

