人が暮らすことで環境も良くなる仕組みを考えることが大切とは?

子供時代、北に山々を望む田園地帯に育った私は、どの家も自給用の畑を持つ時代に育った。

我が家も農家ではなかったが、祖母が畑を維持しており、母も仕事を持っていたことで、畑仕事の手伝いは私の役割であった。

今思えば10㎡もないくらいの小さな畑だったが、ありとあらゆるものを収穫していた。

葉物から芋類、たまねぎ、ゴボウ、にんじん、大根はもちろん、トマト、きゅうり、なす、ごま、あずき、大豆、そらまめ、グリンピース、スイカやメロンなどなど。

祖母と一緒に、こんにゃく芋をすり下ろしてこんにゃくを作ったり、胡麻豆腐もよく作った。

そもそもやおやさんというものがなかったし、店として記憶にあるのは、駄菓子屋さんと文具店、電気屋さん、製粉場、鍛冶屋さんくらい。

時々、魚屋さんが自転車でやってくる。鯨中心であった。

当時、鯨は貴重なタンパク源だったのだろう。皮・脂身・赤身・軟骨とそれぞれ食べ方があって、冷蔵庫のなかった当時、買ってすぐに半解凍の赤身肉を刺身で食べるというのが常であった。

牛乳・ヤギ乳・卵などは、瓶やかごを持って近所に買いにいくのが子供の役割。

昭和30年代前半の田舎の暮らしである。

春になると花籠におやつを入れて、田んぼの畦道を一人でぶらぶらと散歩し、菜の花やレンゲ草や土筆でカゴをいっぱいにしていた。

夏には川で魚取り。網を仕掛けたりもよくした。食べるのではなく鑑賞用。死にかけている魚の水槽にお茶の葉を入れると元気になることを発見したり。

初夏の夕暮れには、麦わらの束を持って蛍を追いかけていた。

竹林の隙間を抜けると川の中に小さな砂地の島ができていて、そこが私の隠れ家。火を起こして煮炊きをしたり一人キャンプを楽しんだ。

自然のめぐみを十二分に堪能した幸せな時間だった。

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福岡正信、ビル・モリソン、ジョー・ポラッシャー

そういう子供時代を過ごしたからか、ソローの「森の生活」に憧れ、福岡正信さんに惹かれ、本を読みあさり会いに行ったりもした。

正信さん(私の中ではしょうしんさん)の山はちょうど春で、花々が咲き乱れ、鳥が飛び交い、暖かい日差しが降り注ぎ、まさに桃源郷のような場所であった。

桃源郷のような

畑のクローバーなどは腰の高さくらいまで育ち、大根は両手で抱えてもよろけるくらい大きかった記憶がある。当時の写真があるはずなんだけど・・・?

パーマカルチャーのビル・モリソン氏にも惹かれた。

参加予定のコース開催直前にモリソン氏が心臓発作で倒れ、結局お会いする機会を逸したが、その後、ジョー・ポラッシャー氏によるパーマカルチャーデザインコースを受けた。

ジョー夫妻と過ごした2週間はあたたかく大事な思い出となった。もっともっと長く生きて欲しい人だったのにほんとに残念。

これからという時にジョーが亡くなり、パーマカルチャーももひとつ深みに入れず、農的な暮らしがいつも頭の中にありながら、手付かずのまま過ごしてきたこの数十年。

昨年、東京から生まれた場所に戻り、ようやく畑を耕し、コンポストを作り、夏にはお試しでトマトやきゅうりなどを育ててみた。

ただ、目指すべきものが明確に見えない。長年手をつけるに至らなかったのはその辺りのぼんやりとしたモヤモヤ感?

四井真治氏の言葉

きょう、パーマカルチャーでネットを検索していたら、四井真治氏の記事に目が止まった。

パーマカルチャーデザイナーとしてお名前はよく目にしていた。

読み進めていくうちに、ストンと腑に落ちたのは、「地球における人間の存在意義は、人が暮らすことによってその場をさらに豊かにすること。そのための仕組みを考える。」という言葉である。

私はずっと「地球にとって人間は迷惑な存在である」という認識だった。

12歳前後だっただろうか。

私は長い休みに入るとあちこちの親戚の家に長期?滞在して可愛がってもらっていた。

唐津の大叔父の家にもよく遊びに行ったが、釣り好きの大叔父の釣り場が、今ある玄海原発の海岸であった。

ある時、その釣り場からの帰り際、「ここに原子力発電所ができることになったから、ここに来れるのも今日が最後だ」と背中越しにつぶやかれた時、

私は、原子力発電所がどういうものかも理解していなかったが、瞬時に暗い奈落の底に引き込まれてしまった。

コロナ禍でひっそりと静まり返った2020年春、陽光がいつになくクリアで、若葉を照らして光り輝き、たくさんの小鳥たちが可愛い声で飛び交っている光景が美しかった。

マンションの窓越しに日々眺めながら、都心でさえ人間が家に閉じこもっただけで楽園と化すんだな〜人間はどこまでも愚かで迷惑な存在でしかないという思いを強くした。

根っこのところでそういう思いがあったので、最終的にはパーマカルチャー的ベースを作りたいと思いながらも、いつも上滑りで行き止まり状態だったのかもしれない。

ひとりひとりの小さな暮らしの場が自然サイクルを取り戻した時、その数が大きな集合体になれば、地球環境までも動かせるかもしれない。

個の時代と言われる今、個々人の思考と行動が未来を作る。

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