日本はこの30年何をしてきたのだろう。
賃金は上がらず、50年近い昔と同じような若者の給与額を見ると唖然としてしまう。
一方で桁違いの収入を得ている者もいるだろう。しかし、ギリギリの生活のために汲汲としている若者が多いことも確かだ。2極化著しい。
近隣のアジア諸国の中でも、成長率で言えば最下位ではないだろうか。個人の能力などという言葉では見過ごせない。
この社会では、経済力が基盤にある。毎日食べたいものを食べ、安定した日常を送るにも、自分の能力を最大限活用するにも、夢を実現するにもお金が必要である。
結婚して家庭を作ることさえも諦めがちな若者の声を聞くとせつない。
どうしてこんな状況になっているのか?政治経済的検証は専門家に任せて、いくつか気になっていることがある。
長年フリーな立場で仕事をしてきたので、組織を垣間見たのは独身時代の僅かだったが、ここ数年くらい、食関連などの事業に興味があり、都心の6社ほどの企業の中に入ってみた。
一般の人とは逆パターン。子どもたちも成長し一段落したので、経験のないことをしてみようというパターン。
組織に入って驚いたこと1
まず驚いたことは、旧態然とした組織の居心地の悪さ。
古株と言われる人たちが現場を牛耳っており、効率的なシステムもなく、個人がひたすらバタバタと動き回らねばならない状況。
新しい提案ができる雰囲気もない。古株が、自分の力を誇示するために、自分のやり方に固執している。
その中には、業績がうなぎのぼりでマスコミで話題の企業もあった。事業の拡大とアピール力だけには秀でていたようだ。
社員を限界まで働かせ、文句を言わせないためのシステムと雰囲気は作っていたが、効率的なシステムもなく、事故を誘発するような環境の中で社員を酷使していた。
「辞める」とさえも言い出せない雰囲気を作っているのには驚く。
数年間、いくつかの組織を垣間見ながら、こういう状況では日本の停滞も当然だと嫌な納得をした。
若い人たちの士気も上がらない。やる気満々で入ってきた若者が、精神的に追い詰められて出勤できなくなる状況も垣間見た。
もちろん、システマティックでゆとりのある環境を提供している組織もあるだろう。そういう会社は待遇もいいはず。
しかし、日本は中小企業だらけ。効率化する知恵も余力もないのだろう。
大多数の日本企業はこんなものだろうと察すると、暗澹たる気持ちになった。
今、気概のある若者は、新しいやり方でビジネスを立ち上げている。時代はすっかり変わっている。ITの普及で、ビジネスの立ち上げも簡単で可能性も大きい。
教育をかえなければ!
日本の教育は暗記主義で、暗記力のある子供が優秀とされ、ゴールを大学受験合格においている学校も多い。いい大学に入れば、社会的ステータスと高収入の職について生涯安泰、という思考で成り立っていた。
今は少しづつ改善しているのだろうが、いまだ現実に即さないものに思える。
後進国といわれた国も飛躍的に発展し、世界中の国々が多方面でしのぎを削る中、ディベート力の無さは致命的だ。
日本では、自己主張が強かったりはっきりモノ言う人間は嫌われ、いじめの対象にさえなる。
小さいときからの集団教育で、
・一人一人意見が違うことが当たり前、違うと思ったときには違うと主張しなければならない。
・主張するからにはその根拠と相手を納得させるだけの論理的内容が必要である。
・意見が違うからと言って敵対しているわけではない。
・しかし勝を取りに行くパワーも大事である。 ・・・ etc etc
ディベート力を養うことが大事である。
日本の社会は抑圧社会だ。抑圧は隠れたところで破綻する。「私も我慢してきたのだからあなたも我慢しなさいよ」的な陰湿な空気が漂っている。
自分を大事にして開放することで、他人を許容することもできる。
一人ひとりの能力が発揮されなければ、組織もひいては国も発展できない。
問題が起きたら個人が責任を取るの?
近年、いわゆる公の下請けの組織でも仕事をする機会があったが、こういう仕事のやり方では国が衰退するのは当たり前だと度々感じていた。
現場で、当然今やるべきことができない。
何か事があると「上に確認しなければ」ということになる。
更にそこでも「上に確認しなければ」という。更に更にとたらい回しにされ結論が降りてこず放置状態。どこにも決定権がない?どういううこと?
皆、上の顔色を見ながら、何も決定しないで、ひたすら逃げ回っている。
問題が起きて契約を切られたら組織が終わるという恐怖もあるらしい。問題が起きたら契約を切られるってどういううこと?
結局みんな責任を取りたくないのだ。ということは決定権の所在も明らかではなく、何かあったときの責任は下請けや個人にとらせているということ?
?だらけで気味の悪い世界だ。
問題が出たときには、その原因を突き止め、2度と起こらないようシステム修正すればいい。法律的問題で特定される以外は現場や個人が責任をとるべき事柄ではない。
感情的で改善できない組織
組織内では長く職場にいる人達が幅を利かせ、明らかに効率的ではないやり方も改善できない。感情的で話をすることができない場合が多い。
日本の現状に危機感を覚えている人は多い。
いま躍進している企業はそういう社風が多いのではないかと思うが、上下関係なくフラットで自由にもの言える組織でなければ個人がその能力を十二分に発揮することはできない。
あちこちに余分な気遣いをしているようでは事が進まない。
「おもてなし」などと言って自画自賛で浮かれているが、過剰なサービスは気持ち悪いだけ!と思っているのは私だけ?過剰にお客様扱いするから変なクレーマーに悩まされるのだ。
法的なものは別にして、個人の領域にまで入り込んで他人を非難するのはなんとも見苦しい。
マスコミの、あれがいいこれがいいという情報に殺到して品切れなんて・・・???
みんな自分を開放して、自分の判断力を信じて・・・十人十色という言葉もあるじゃない!
もっとクールでそれでいてフレンドリーな世の中にならないものか。
とにかく国は大事。国力は大事。現実的には国の経済力はその基盤なのだ。
国境がなくなってすべての人が平等に自由に生きていければそれが一番いいに決まっているが、そういう世界には至らないだろう。
一人ひとりが自由に不安なく生きるためには、自分たちの領土をしっかり守り、自分たちの力で国としての運営をしていく必要がある。
アメリカとの関係、周辺国との関係、なかなか一筋縄ではいかない。ますますそのハードルは上がっている。
知恵と胆力のあるリーダーも必要だが、国民一人ひとりの思考と知力が国を造る。