ウイルスに負けない体は食にあり!?何をどう食べる?

生きるための食を考える

コロナ禍の世界の中で、「食」について考えることが多くなった。

ウイルスが蔓延し、効果のある薬品もなく、次第に凶暴化していくとなれば、もはや自分の体に頼るしかない。

ウイルスに負けない体=免疫力を上げる手立てとなると、やはり、食生活に寄るところが大きいだろう。

それにはどういううものをどう食べれば良いのか?だいいち今現在、生命力のある食材などあるのだろうか?

生きるための食は、本来シンプルなものだが、現代では社会の大きなビジネスターゲットゆえにその歪みも大きい。

世界で8億人以上の人々が飢餓状態にある中、一方では、廃棄率の大きさが問題となり、食べ過ぎによる病気が蔓延している。

広告

日本の食農政策は大丈夫?

日本はマーケティング化した食情報に溢れていて、次々に出される情報に右往左往という状況も見られる。

一方で経済の問題が食の質に直結する事態も見えてきて、東京では一気に「子供食堂」の数が増えている。切ない。

自給率の低さ・添加物の多さ・農薬使用のゆるさなどにおいて、日本は先頭を切っているのでは?という疑念がある。

美しい・甘い!の追求が種子の問題まで連れてきている。

ヨーロッパの食農政策は、日本と比べればはるかに「食に対する安全性の確保」という基本を踏まえたものに思える。

情報の見極めと自分の感覚を大事にするしかない。

小さな畑のある暮らし

小さな畑

小学生の頃、どの家も自給用の畑を持ち、近所とのお裾分けの習慣のある田舎で育った。私は幼少期からよく祖母の畑仕事を手伝っていた。

大人になってから見ると、「こんなに小さな畑だったんだ〜!」と驚いたものだが、あらゆる野菜を育てていた。

葉物から根もの、豆類、きゅうり・とまと・かぼちゃ・すいか・メロン・・・果てはゴマまで。

四季折々に、収穫して種を取るとまた次の種まきをし・・・の繰り返し。たくさんの種類を次々に作るのでホクホクの肥えた土であった。

食の本来を考える時、いつもあの小さな畑を思い出す。どういう場所で暮らそうとも、小さな畑を持つことは可能だ。ベランダの一角でもいい。

ほんの一部でも自分の手で育てて食べることは心身の喜びであり、これからの時代にこそ役立つことかもしれない。

子供食堂にはプランターでも良いので、野菜を育てるワークショップを組み入れたらどうかな?

今現在、食べて良い食品として確立しているのは?

その昔「食べ物は毒である」と言い切った人がいたような。

食べ物には毒性という一面がある。種の保存という使命を持つ命あるものの当然の自己防衛である。

その毒性が時に有効な働きもするが、人間はその毒性を様々な手段でかわしながら食してきている。

現代では、人間が作り出した毒性の方がはるかに上回るが。

人間がその進化を豪語しようとも、宇宙のことも人間のことも、わかっているのはほんの僅か、その真偽も定かとは言えない。

今現在、食べて良い食品として確立しているのは、野菜・果物・ナッツ類・オリーブオイル・魚・茶色い穀物と言われている。

健康に良い可能性を示唆されているのは、70%以上のダークチョコレート・ブラックコーヒー・ヨーグルト・納豆・酢・豆乳・お茶。この辺りらしい。

生きるための食

生きるための食は、健康に育った、体にいいと思われる、新鮮な食材を、多品目、シンプルに調理し、バランスよく腹7〜8分めに食べる。それだけのことである。

ただこれだけのことだが、いつの時代にもそれなりの難しさがある。

現代の難しさは経済構造にある。しかし、何を解決しようとも人間が存在する限り問題がなくなることはないのだろう。

日本では、健康に貢献してくれるであろう食品を手に入れるには、それなりに意識し選択する必要がある。多種多様な化学物質にまみれている。

ただ、それらが即健康に悪影響を及ぼすかと言えば、ほとんどの場合そういうわけでもないだろう。あるいは、悪影響を受けていても、我々に感知する能力がないともいえる。

何となく体調が優れないが病気とも言えない状態が殆どかもしれない。

または、強靭な遺伝子で、”何を食べようとも影響されることがない”という幸運もあるだろう。

人間の体についてもわからない事だらけで、あとは個人の選択の問題。

食というのは習慣性・中毒性の強いもので、日々食べるもので味覚も大きく変わるし、一度ハマるとなかなか抜け出せない。

今後も新種のウイルスが次々に出現するとも言われている。

ウイルスに負けない健康体を維持するには、日々の食生活を自覚を持って整えることが必要であろう。

タイトルとURLをコピーしました