長く”布”に関わり、特に”生活クラフト”といわれる分野のクリエイター達の仕事を見てくると、惹かれるモノの傾向が見えてくる。
結局、時間を纏(mato)ったモノ。
時間の経過とともに変化していく素材と丹精込めた仕事に行き着く。
使い込んだ手跡や擦り切れ、汚れなど、美しさとは対極にあるような状態に心惹かれる人は多い。
「糞掃衣」(ふんぞうえ)とはボロ布を洗い清め、刺し縫いで縫い綴った袈裟をさす言葉だが、この言葉を初めて聞いた時は心震えた。
袈裟でなくとも、東北の野良着で刺し縫いを重ねながら着込んだ衣にも力がある。
糞掃衣は正倉院の宝物の中にあり、東北の野良着は今や美術館の展示物でもある。
丹精込めた緻密さと時間の経過と手跡。人は人の思いに心惹かれるのだろうか。
30年以上素晴らしい布に関わってきて、小さな端布も捨て難く保存してきた。
ただ持っているだけでは自分がいなくなった後にはゴミと化すだろう。
何か布の力以上の表現ができないものか・・・眺めては仕舞いの繰り返し。
最近、昔製品化した服を引っ張り出して眺めることがよくある。
もう、長い間来ていない服もあるし、20年以上着続けている服もある。
素材が二度と手に入らないものが多かったので、色あせたり擦り切れたりした服も、捨てられずにいた。当時よりも素敵に見えたりする。
当て布やチクチク縫いで補修したり、リメイクしてでも着たい衝動に駆られて、どうしたものかと思いを巡らせている。これが結構楽しい。
端布もつないで日用使いのものを作れば、使い込み、補修を重ねていくことでその布本来の魅力が増すのかも知れない。
そう考えると、たいそうなものを作ろうと眺めてばかりいるより(そこは期が熟すのを待ち)、今必要なものをすぐに作って使い込むことも良いのではないか。
例えば、ちょっとした買い物などのお出かけに必要な、携帯と財布が入る程度の小さなサコッシュは必需品ともいえる。
特に、年齢を重ねていくと絶対必需品!
使い込んで傷んできたらダーニング手法やアップリケ技法で補修を重ねていけば、良い味わいの逸品になるのかも知れないと思いながらいくつか作ってみた。