30代の頃だっただろうか。
『わら一本の革命』という本に出会った。
「人間が自然から離脱して、一人で生き、発展しうると考えたおごりと愚かさ。
自然は、愚かな人智によって、いとも簡単に滅びてしまう」
その感性に共感し、読み進めた記憶がある。
本書は、横浜税関の植物検査課で植物病理の研究をしていた
25歳の青年が、肺炎の療養中、突然に人智を否定し、
科学をも否定する者へと変わるくだりから始まる。
やがて仕事を辞め、放浪生活に入る。
それほど強烈な閃きだったのだろう。
「人智・人為は一切無用である」という信念を、
農業という手段で証明する人生が始まる。
伊予の実家に戻り、本格的に農業に取り組み始めたのは戦後間もない頃。
「何もしない農法」を目指し、
しなくていいことを削っていく試行錯誤が続く。
近代農法が
「ああしたら」「こうしたら」と技術を積み重ねていく農法だとすれば、
本当に必要なことだけを残す
楽農・惰農を目指した人生だったと言えるだろう。
この書は農法の本でもあるが、
根底に流れているのは哲学である。
- 自然は人間を超えた存在である
- 人智人為一切無用
35年にわたる試行錯誤の末、
自然はそれ自体が完結した循環であり、
耕す必要も
肥料も
農薬も
除草も
本来は不要だという結論に至る。
それらが必要になるのは、
人間が先に「必要になる条件」を作っているからだ、という視点である。
自然農法の四大原則は
- 不耕起
- 無肥料
- 無農薬
- 無除草
そして象徴的な手法が
「粘土団子」である。
100種類ほどの種を粘土に混ぜ、団子状にして圃場に撒く。
鳥や虫から種を守り、水分を保持し、
その土地に合った植物が自然に芽吹く仕組みだ。
この手法を携え、福岡氏は世界各地へ赴き、
実践と普及を続けた。
砂漠緑化でも成果を上げ、世界的な評価も受けている。
それでも
「なぜ自然農法は広がらないのか」
という焦燥も、本書にはにじんでいる。
現代社会はあまりに専門化・高度化し、
全体を捉えることが難しくなった。
肥料も農薬も機械も使わない農法は、
経済至上主義の社会では扱いづらい。
この農法は
個人が生活の周りで楽しみながら実践する形が
最も適しているのかもしれない。
家庭の基盤になり、健康につながり、
やがては自給率や環境にも影響する。
「人間は地球にとって害悪なのではないか」
折に触れ頭をよぎる。
そんな思いを抱く人も少なくないだろう。
人の営みが
自然の循環の邪魔をせず、
少しでも貢献する方向に働くのだとすれば、
この農法は、「生活のすぐそばで試したくなるもの」ではないだろうか。
